コンピューターの中に自然がある
「コンピューターの中に自然がある」とは、未来の建築とは人工物を「制作」する のではなく、自然の“自ずから然る”その摂理のシステムの根にある「生成」原理を手中に収めるよう配慮されるべきである、という意味だ。
建築とは「(空間の)秩序を創り出すこと」に他ならない。
であれば、その「秩序」なるものが、「既存の建築秩序」だけから引用されているようでは、新たに生まれ出る世界観には限りがあるというものである。
だからこそ建築の新しい秩序を、敢えて「建築的分野」から遠いところにあるもの、すなわち「自然」から引用し翻訳してみたいと考えた。
どうやっても勝てる気のしない自然、「誰が設計したの?」と言われるような自然
そうしたものへの畏敬の念とそこから謙虚に学ぼうとする姿勢が整ったとき、
自然は建築空間生成のエンジンとして手を貸してくれるようになる筈だ。
こうした試行錯誤や新しい試みに挑戦するなかで、建築には今迄とは全く違った顔付きが現われてくるであろう、そう確信する。
ただこれらの方法は、(CGなどで)「建築空間をコンピューターによってシミュレートしてみる」という程度のことなのではなく、
「建築空間の発生が自然法則によって構想される」、という「摂理」の扱いに近いものである。
自然や有機生命体が発生してくるのと同じような過程を通して、
建築も誕生させてやりたいということである。
“建築を設計するという行為”は今後、
頭の中にイメージされた空間を紙の上にトレースすることから、
「コンピューターによってプログラムされた自然の摂理が紡ぎ出す、設計者自身にも予想不能な偶然に己を委ねる作業」へシフトしていくだろう。
さて、「ゆらぎ」という言葉は、既に、商業的にもあまりに手垢の付いてしまったものになってしまいましたが、とても大切な概念のひとつであることには変わりありません。
つまり、自然には、人工物に無いような複雑なシステムが潜んでいるということ、それが「ゆらぎ」ということであります。
上左のような線の記述は、まさに人工物の有様ですね。機械が等間隔に作成したような正確で緻密な記載です。
しかし、自然とは、いつもこんなふうに堅く律儀な振る舞いをする訳ではありません。前述の煙や炎や雲や気象の風景を見れば、すぐにわかることと思います。
これらの複雑なシステムの背後にも「ルール」や「根拠」があります。そして、その複雑なシステムの背後にある現象のひとつに、「ゆらぎ」という概念があります。
試しに、上左の人工的な“線割り”に「ゆらぎ」を適用すると、上右のような一見ランダムな間隔配置となります。上左と上右を見比べた時、パッと見ただけで、どういう訳か“ホッとする”のは上右の方ではないでしょうか?現に、竹林の林立した垂直線は、どこか上右のような“まばら”な間隔であります。
さて、Proxyの講演の中、長谷川徹氏の言葉で、大変印象的なものがありました。「コンピューター言語の中にこそ、自然は見えてくる」というものです。
コンピューターを“図面を書く道具”・“デザインをする道具”・“インターネットを見る道具”・“ワープロの道具”としてくらいにしか扱っていないうちに は見えてくることはなかった「自然界のシミュレーション」こそ、この不思議なエレクトロニクスの箱の中に潜在的な可能性として埋蔵されているのです。
これを堀り起こすことができるか否かは、その人にかかっています。
そして何より、その可能性を大胆にも建築に忍び込ませてしまおう、という新しい視点こそが、未来の建築に大きな一歩を踏み出させることになるに違いありません。