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建築メディアで頻繁に目にする「身体性」というあの
言葉、扱いがひどく稚拙だ。
朝食った飯は、昼頃まで体内で消化されている。“理性”
はそのことを決して“意識”することをせぬがそれで
も「身体」は確実に作動し続けている。「身体」とは“理
性”や“意識”の外部にある。そんな“理性・意識で
はどうにもアンコントローラブルなもの”と、なんと
か関係しようとするのが「身体性」ということの真の
意味である。“ 私の制御の不可能性” を言うのだ。な
にもわかり切った“手や足”のことではない。
そんな地平で解釈されてはじめて、「身体性」と「自
然」(自ずから然る)という概念は接続させられる回
路を見いだされる。当然のことながら、そういう当た
り前を知っていたメルロ=ポンティーや杉浦康平は本
物だ。建築界はいつまで“まがいもの”で済ませよう
とするのか。
身体性
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