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“他者の事情で創る方法” を
古人は自然 (じねん) と呼んだ
墨絵では、筆の滲み、掠れ、撥ねなどの
“偶然” と “予測を裏切る事件”
が創り出す世界にこそ作者は憧れた
茶碗も同様で
土の性質、ロクロの動き
手の温度、釉薬の化学変化の様
いずれも “私” の必然を超えた
“偶然” の事件 (自然)ばかりで成り立っている
創造のある部分では
この自然 (じねん)が友とされることで
ちっぽけな “私” などでは想像もできなかった
遙か遠くの地点にまで
創造世界は
放り投げられるようになる
「無私の創造」では
偶然が組織化されるよう配慮される
自然(じねん)
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