虫けらであれ犬であれ人間であれ、
命という一瞬の秩序の淀みは必ず流れ消え去る。
その無常をあるがままの「たかが」と承知し受け入れる。
それと同時に、隣人のどんな小さな苦しみ悲しみにも
無関心にならず己の全身で「されど」と
同苦しようとする。
先の青原惟信でいえば
初段の「死は怖い」に対し、
中段は「死は怖くない」(たかが死)、
そして上段は
「依然として死は怖い」(されど死)
ということになる。
この「たかが・されど」は、
「色即是空」と「空即是色」(般若心経)、
「身心脱落」と「脱落身心」(道元)
と同じ関係にある。