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人物と呼ばれる人たちに共通しているのは、

数多の「不合理」をくぐってきた記憶がある

という点だ。

 

「不合理」というどうにもならぬ友人が

傍らにいてくれることで、

 

“どうにもならぬ”

とは放り出す「終」にあるものではなく、

 

そこから出発する「始」であることに

合点がいくようになる。

 

合理だけに育てらてしまった根無し草

それのできることといえば

たかだか建築ごっこでしかない。

不合理

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