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太平洋戦争では、
軍部の体面の為に今の東京の人口の1/3の人たちが
不本意・許されぬ死を遂げて逝った。
妹に縫ってもらったぬいぐるみが
激突の際に怖がるからといって、
“背中“ にそっと忍ばせながら敵艦に向かっていった
心優しき特攻隊の若者がいた。
軍部による言語道断の最悪の作戦に文句も言えず
次に命繋ぐ為だけに散花していった……。
怖かっただろうし孤独だったことだろう……
敗戦の日本では、
焼け野原から生き残った人達が、
粗悪品 made in Japanで世界相手に
裸一環の勝負を賭けた。
先達たちが次の世代の幸せな顔を夢見ながら、
己の命と引き替えに逝った“継承”への想い。
それにくらべ、
今の僕達は先達の残してくれたものを
食い散らかしているだけで、
命繋ぐことなどには到底 無頓着である。
貰えるものは貰うが与えるものに無関心。
この気概と魂を欠いた現代の草食系日本。
これこそ、僕が未来の日本の建築文化へ
何かしらの貢献をしたい
という動機の大きな一翼となっている。
万全の自戒を込めて。
拝
日本
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